子ども嫌いが画像見て産むことを決め妊娠悪阻に悩まされスーパー安産で産まれる

ニックネーム:おきゃん

出産を経験した年齢:23歳、30歳、35歳

妊娠中に役立ったものは?:ユニクロのシームレスパンツ、龍角散のど飴

子供が大嫌いで育てられない!中絶しようと思ったが映像を見て気が変わる

私の初めての出産は授かり婚でした。

妊娠発覚時は22歳でした。

専門学校卒なので社会人3年目。

相手は付き合って4ヶ月の24歳男性。

こちらも社会人3年目。

年の若さ、経済力の軟弱さ。

そして何よりも子供が大っ嫌いだった私にちゃんと産めるのか、育てられるのか、何よりも結婚することが嫌でした(笑)

生理が遅れてることに気付き、思い当たるフシもあり、 妊娠検査薬で調べました。

彼の家で(笑)

そしたら見事に陽性!

泣きました。マジで。

大変申し訳ないけれども、堕ろそうって思いました。

しかし、妊娠検査薬の結果を見た彼は、私の期待を裏切り、大喜び。

小躍りしてました。(マジ)

すぐ結婚しようと云ってくれましたが、受け入れられませんでした。

色々と、序盤に云ったことが引っかかり。

とりあえず、本当に妊娠しているかどうか確かめなきゃいけないんで、病院に行かなきゃって思いました。

次の日会社近くの19時までやってる産婦人科へ行きました。

そして、もし妊娠していたら中絶の手続きも済ましちゃおうって思ってました。

最低だけど。

だけど、仕事が終わって、会社の自動ドア出たところに、 彼が待ち伏せしてました。

「一緒に病院に行こう」と、待っていてくれていたのです。

忙しい時期だったと思います。

仕事が終わって私の会社まで、すっとんで駆けつけたみたいです。

これは正直嬉しかったです。

そして、一緒に病院へ。

初めての産婦人科でした。

マクロスみたいな診察台に驚きました。(笑)

超音波を入れられ、初めて子宮の中を見て、袋の中にいる小さな影を「これが赤ちゃんです。妊娠してますね。おめでとうございます。」とお医者さんが云いました。

その映像を初めてみたとき、私は絶対に堕ろせないって思いました。

この小さな命を責任持って守ってあげようという気に

このとき初めてなったのです。

問診票には結婚していないことを書いてましたから 診察時お医者さんに「産みますか?堕ろしますか?」と聞かれるんですね。

多分産みます」って云いました。

多分かいって(笑)

待合室に戻って、写真を見せて、思いを馳せている彼。

この人と一緒に頑張っていこう。

そう心に決めて瞬間でした。

これが、妊娠発覚から次の日までのお話です。

 

 

上司の必ず産みなさいの言葉に産もうと決意!酷い悪阻で食べれず飲めれず

妊娠が発覚して、親よりも先に報告した人がいます。

当時勤めていた会社の上司(40代女性、やり手)この人もまた、19歳で授かり婚をし、妊娠出産を経験している人でした。

「産むのが怖い、ちゃんと育てられるか不安だ、仕事もまだ続けたい」ようなことを云った気がします。

すると上司は、「産まない道より産んだ道を選んだほうが、たくさん幸せなことがあるからから、必ず産みなさい。
仕事のことはいつでも挽回できるから、心配いらない
」 男前です。

私の人生、友達にあまり恵まれなかったせいか、人との付き合いに希望を持って生きていませんでした。

この上司との出会いは、神が与えてくれた最初で最後の贈り物だと思っています。(笑)

この言葉で最終的に「産もう!」と決めました。

そして、親や親族、友人たちへ報告。

まぁ、色々色々・・・云われましたけど、なんとか結婚出産で話がまとまりました。

報告がすべて終了し、ほっとしたのか、やってまいりました。

悪阻です。

私は、本当にひどかった。

特に最初の子は本当にひどかった。

何も食べられず、何も飲めず、吐いてばかり。

1日7回吐いたこともありました。

そんなのが2週間とか続いたことありました。

そんなのが続けば体重も減ります。

5キロぐらい痩せましたかね。

足も細くなります。

美脚を手に入れました。

まだ世間がつわりに対して理解が得られない頃だったので、実親には気持ちが足りないとか、気分でどうとでもなるかとか、私の時は全然平気だったとか、心にも無いこと云われたもんです。

彼からも(泣)

でも男前上司だけは本当に優しかった。

仕事も休ませてくれましたし、毎日メールしてくれて 勇気づけてくれた。

それだけが心の支えでした。

しかもその悪阻、全然終わらないんですよ。

3ヶ月は続いたと思います。

水も飲めない悪阻は「妊娠悪阻」って病名が付くので 入院したほうがいいんですね。

でもそんなこと親も教えてくれないから 耐え難きを耐えたわけです。

今思い出しても、思い出しゲロができるほど辛かったです(笑)

 

 

結婚式と家購入と引っ越しをこなす!適当に選んだ病院が老舗の病院で当たり

胎動が胎動だ!って解るまで 時間を要します。

胃がぐにょって動いてるのかなっておもっていたやつが どうやら胎動でした。

この時期によせばいいのにこの時期に結婚式と家購入と引っ越しをこなします。

仕事もやっと通えるようになります。

でも有休使い切っちゃったので、 体調悪くて休んでも欠勤扱いです。

給料減らされますが背に腹変えられません。

お金も無駄遣いできません。

この頃はまだ出産費高いし、補助でないしで 入り用だったので、なるべく貯金します。

産休育休取得できる会社だったので、 その時のためにも貯めておきます。

確か出産する病院も決めたのはこの頃です。

最初新居の近くに、ドラマの舞台にもなった 大きな大学病院があるのですよ。

そこの産婦人科で出産しようと思って、 出向いたら、断られました(泣)

もう、ベッドいっぱいってすって。

先に電話して聞けよ、みたいな。

失意の中、病院近くの電話ボックスで タウンページ引いて、家の近くの産婦人科に電話して 3月出産予定なんですが、まだ受け入れてもらえますか?って 泣きながら電話しました(マジ)

電話先のお姉さん「3月ならまだ大丈夫ですよ」って云われて、さらに号泣。

思えば些細なことで泣いていたな。

ホルモンバランスの状態が崩れているんですよね、妊娠中って。

タウンページの情報のみで出向いた産婦人科は その地域では老舗の産婦人科。

当時は珍しい無痛分娩もやってました。

普通分娩で産んだけど、その時は。

医師もベテランで、看護師さんたちもテキパキ仕事する。

適当に選びましたが、当たりな病院でした。

そしてその後、私はずっとこの病院で子供を産むことになります。

 

 

最初で最後の二人だけの誕生日を祝う!こむら返り貧血妊娠線がでる

妊娠後期は気持ち悪さ、口の中の不快感は残っているものの 悪阻も軽減して、普通の生活が送れるようになってきました。

仕事も休まず通えるようになったのもこの時期かな。

夏に妊娠が発覚して季節はもう真冬になってました。

休まず通えるようになったけど、もうすぐ産休。

私、冬生まれなんですね。 誕生日を彼もとい旦那さんが祝ってくれました。

恵比寿で。

横浜在住の私、妊婦で仕事後に恵比寿に行くのしんどいですよ。

でも、付き合って4ヶ月で結婚したので、 初めてお祝いしてくれる、そして最初で最後の二人だけの誕生日なので、頑張っていきました。

恵比寿まで。

でも、大したことなかったです(笑)

これなら近所の高級焼肉屋のほうがいいなって思いましたけど、ずっと心に止めてます。

でもいつか頭に来た時に云ってやろうって思ってます。

この時期辛かったのは、足をよくつっていたことですね。

こむら返りってやつです。

あと、血液検査すると必ず貧血の数値引っかかっていたので、 鉄剤と、漢方が出されました。

だけど、あれ、どうしても体に合わなくて、 飲んでませんでしたー。

だから毎回引っかかっていたのかもね。

自分のせいです。

妊娠線も必死に抑えましたね。

若かったんで。

結構高いクリーム毎日塗ってました。

なんやかんやで、無事産休に入り、3月を迎え、 最後に色々お出かけしました。

大きいお腹で、横浜でショッピングしている姿を 高校の後輩に見かけられて、あとでメール来たり。

なんで、声かけてくれなかったんだろうって悶々としたり(笑)

あれね、悪阻の酷さとお産の重さは反比例ってことを、 私の出産をもって証明します。

いよいよ、その時がやってきます。

 

 

最初は陣痛と気が付かずあっという間に陣痛は間隔が短くなリスーパー安産

その日は旦那さんが非番でした。

映画でも観るかって話でしたが、 妊娠後期、ずっと座っているのも辛いものです。

朝から家でダラダラしてました。

そしてその時はきました。

16時。

軽い生理痛みたいな痛みが襲います。

子宮をぎゅーってやられる感じ。

最初は陣痛って気付きません。

う○こがしたいのかと思ってトイレ行きます。

まさかのう○こが普通に出ました(笑)

なのでこれが陣痛とは思いませんでした。

しかし、15分おきにこの痛みが来ました。

テンパります。

旦那もテンパります。

病院に電話します。

5分おきになったら連絡してくださーい。」 病院だけが冷静です。

初産は24時間かかるって聞いてました。

1週間前に旦那の妹も出産したんです。

全く悪阻なかった義妹。

お産は24時間かかりました。

そんな話を聞いていたもんですから覚悟していたのですが 18時には陣痛が5分おきに!!

テンパります。

旦那もテンパります。

「じゃあ入院でーす。」 病院は相変わらず冷静でした。

そしてここからは、ジェットコースターのような時間が過ぎた気がします。

ちょうど実母と同時に病院に着き、 病室で待機です ひたすら痛みに耐えます。

私、初産婦のくせに1回も母親教室参加しなかったんですよ。

なので、陣痛の和らげ方、知りまてーん。

最初からバリバリイキんでました(笑)

ベットの柵握って、「うおおおおぉおおぉぉおぉぉぉぉ痛いいいいいぃぃぃぃぃぃいいいぃぃいいいいいっぃぃぃ!」って叫び続けてました。

出産後、隣の病室にいた人に「すごかったね(笑)」って笑われましたけども。

24時間かかると云われている初産ですが 予想を上回り、お産は早く進みます。

旦那外に食事中に、子宮口全開で分娩室に入ります。

旦那立ち会えません。ぴんち。

相変わらず、分娩台の上でも「うおおおおぉおおぉぉおぉぉぉぉ、きえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ!」という声は出し続けてます。

うるさかったと思います。

でも医師も看護師も何も云いません。

プロです。慣れてます。さすがです。 黙々と準備します。

そして確か2回イキんだぐらいですかね。 産まれました。 3195gの女の子の赤ちゃんが

所要4時間弱のスーパー安産でした。

ちなみに、旦那さんは無事間に合いました。

 

 

気持ち悪さ口の中の不快感開放され名前を考える!子育てはわからないことばかり

やっと産まれた我が子ですが、泪はでませんでした。

やっと、終わった。

この気持ち悪さ、口の中の不快感、開放された。って気持ちのほうが大きかったです。

本当、産んだ瞬間になくなったんですよ。 気持ち悪さと不快感が!

産まれた我が子も、夜産まれたもんで、 すぐ新生児室に持っていかれちゃったんですね。

私、分娩台の上に2時間放置な時間なのに。

この時に名前を考えました。

夜に産まれたので、名前に月が入る名前にしました。

この月の名はその後産まれてくる子どもたちにも受け継がれます。

病院入院中は昼は母子同室、夜は別室だったので、 ぐっすり眠れるかと思いきや、全然寝付けず、 いつも深夜2時ぐらいまで起きてました。

しかも、沐浴指導とか早朝にやるんですよ。 5時ぐらいに起こされて。 全然覚えてないっす。

なんで自己流でしたね、沐浴は。

乳も出なくて、でもなんとか1ヶ月は飲ましてました。

ミルクと混合で。

母乳母乳って云われますけど、 出ない人は無理しなくて、ミルクで育ててもいいと私は思います。

実際うちの子はみんなミルクで育てましたけど、 別になんら不具合は生じてないですよ?

最初の子は若かったので、体の戻りも早かったです。

ただ、最初の子育てはわからないことばかりで、 よく泣いていたのは覚えてます。

でも、子育てに正解はないんですねー。

まぁもちろん行き過ぎた暴言暴力とかは良くないけど。

人それぞれ顔が違うように、成長も違うんですよー。

ひとつひとつの成長に一喜一憂するんですねー。

それが楽しみだったりもするんです。

 

 

これから出産される方にアドバイスお願いします

私は授かり婚でした。

妊娠が発覚したときは 堕ろそうって思ってました。

この文章を見ている人の中には 辛く長い不妊治療を経て、やっと子供を授かった人もいるかと思います。

その方にはさぞかし不愉快かと思います。

すみません。

だけど産んで育てる道を選びました。

男前上司が云ってくれた「産まない道より産んだ道を選んだほうが、たくさん幸せなことがあるから、必ず産みなさい。

この言葉がなければ、私は多くの幸せを見つけることができませんでした。

出産は痛いです、怖いです、辛いです。

でもそんなもの、これから来る幸せがすべて消し去ってくれます。

子供の誕生はそれほど尊いものです。

出産し、子育てしていくということは 美しいことばかりではありません。

辛く悲しいこともあるかもしれません。

けれどそれの何倍も多く幸せがあります。

これから産まれてくる子供がそれを運んでくれます。

楽しみに待っていてください!

 

 

 

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